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          メール・マガジン

     「FNサービス 問題解決おたすけマン」

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   ★第012号      ’99−09−10★

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    マネジメント思考

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●戦国時代の武将山中鹿之介は

 

「我に七難八苦を与え給え、、」と三日月に祈り、願いかなって散々に苦労

を重ねた挙げ句、非業の死を遂げました。  あなたも祈ってみますか?

 

自分を鍛えるにしても、そこまでする人は近頃いない。むしろ努力はせず、

ひたすら幸運や成功ばかり夢見る輩の方が圧倒的多数です。

 

 

計画が予定通りに遂行され、規準が満たされること。つまり、目前の現実が

あるべき姿に一致していること、即ち問題が無いこと、を望むのは誰しも。

 

その「良い状態」を「定常」的に維持するには、仕事を「定型」化するのが

宜しい。「こうすれば、こうなる」という安心の枠組みを作って、それを

関係者に堅く守らせる。  そのような管理を「コントロール」という、

 

*   *

 

と前回は説明し、それに熱中したため、スッカリ堅くなってしまった人々の

話をしました。しかし、そのような真面目な人たちの努力にも拘わらず発生

するのがトラブルです。 祈らなくても、来るものは来る。  マーフィー?

 

トラブルではない「問題」もあります。これまでより高度な「あるべき姿」

を新しく設定すれば、「現実」とのかけ離れ、即ち問題が生じるわけです。

 

どちらにしても「努力して何とか manage(to do) する」ことが必要。その

時には誰が出るか? 当然 manage 出来る人、対処するための頭の使い方、

つまり「マネジメント」と言われる管理、が出来る人に決まっています。

 

あなたは「その人」だ、と思いますが、念のためチェックしてみましょう。

(以下、分かりやすさのため、「トラブル」本位で解説します。)

 

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●大変だ、トラブル!

 

と声が上がる時の状況は「普通」ではない、「異常」。それを何とかするの

がマネジメントという管理。つまり基本的に、異常への対応という性格なの

です。 コントロールが「定常」状態のためであったのとは全く対照的に。

 

 

コントロールしていたのに、その枠から外れてしまったわけですから、当然

その管理の仕方では対処できません。いつものパターンじゃダメ、ならどう

する? たちまち声あり。  まず、頭を切り換えてかかりましょう!

 

と言うは易し。無意識に「いつもの考え方」が出る、切り換わらない。習慣

や癖というものは、すべて無意識です。コントロール管理での「定型化」も

「一々考えずに」誤りない行動がとれるようにするため、でしたからね。

 

しかし「異常」への対応は、大変!から。即ち、マネジメントという管理は、

単なる知識でなく、認識や意識で始まるのです。  で、まず何を意識する?

 

*   *

 

それは基本的に、「問題」を対象とする、ということです。場合によっては

すでに「課題」かも知れません。  これはちょっと、解説が必要かも。

 

   問題には多くの要素的現象が絡まっており、一挙には手を下すことが

   出来にくいものです。それを解きほぐして、実行すべき個別対処行動

   の形に掲げたもの、それを課題と言います。

 

   ところが事柄によっては、それを思い浮かべた時、すでに課題の形に

   なっていることもあり得ます。  上記はそのような意味です。

 

マネジメントという管理が対象とするのは問題、課題。どちらにも、これと

決まった形が無い。コントロールが対象とする「特性値」にはそれがある。

二つの「管理」は、そのようにスタートから違うのです。

 

*   *   *

 

「定型」の枠から外れて発生するから「異常」と言うわけで、それがどんな

ものか、は分かりません。  即ち「異常」に定型なし、もともと「非定型」。

 

当然ですね。決まった形で発生するトラブルというものがあるなら、すでに

解消する工夫も重ねられているはず。それまで含めての「業務の定型化」が

行なわれたに違いないからです。  トラブル込みの定型?  ご冗談を!

 

コントロールの管理が扱うのは「定型」化、「定常」化が可能な領域です。

マネジメントという管理は「異常」かつ「非定型」な対象を取り扱います。

対象が非定型なら、対処も定型ではあり得ない。マネジメントに定型なし。

 

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●計画や規準

 

のような目安は「異常」の世界にはありません。設定してあった許容限度を

超えたからには、要するに「良くない」。 それを(より)良くしなくては。

 

まず、そのトラブルから生じる損失を最小に食い止めなくてはなりません。

次に、どんな方法かは別として、対処行動に要するコストも少ない方が良い

に決まってる。  トータルして「機会損失の最小化」が狙いです。

 

 

コントロールという管理の本質は「良い状態」の維持でした。それに比べ、

初めから「良くない」状態を突き付けられてスタートするマネジメント管理

は、「より良い」状態へのブレーク・スルーを果たす。  これが本質です。

 

「維持」と言えばスタティックな印象ですが、ブレーク・スルーは明らかに

ダイナミック。  アタマの働かせ方も行動ぶりも、かなり違います。

 

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●ダイナミックと

 

言うが、何をするのか。それを要約すると3段階、

 (1)あらゆるアイデアを集め、

 (2)その中から最適のものを選択し、

 (3)さらに不断の補強を加えて行く、

という具合。  要するに、すべきことをする、ではありますが、、、

 

 

コントロール管理の「監視・統制」よりも動きが多いこと、しかもその作業

が思考的なものであること、が容易に感じ取れるでしょう。  違うのです。

 

その作業範囲も、コントロール管理が「現在の枠組み内」であるのに対し、

「枠組みになんかとらわれていちゃダメ」で、広い。いや、広くしないと、

「あらゆるアイデアを集める」ことは出来ませんからね。  アタリマエ!

 

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●枠組みにとらわれない

 

ように、と心がけても、「無意識的に」では、「いつも」の範囲しか見ずに

終わるもの。そこから抜け出して、アイデア集めをうまくやるには、、、?

 

理屈は簡単、「いつも」でないことをすれば宜しい。「異質性の取り入れ」

です。いつもなら考えないようなことを、この際あえて考えてみる。いつも

なら言わないようなことも口にする。いつもならしないような議論の仕方を

してみる。何なら、場所や雰囲気も変えてみる etc。  そして、決定版、

 

 

「いつもならそこにいない」ような人を議論に呼び込むことです。それには

普段から「異質の人」を大切にしておくこと。急には来てくれませんからね。

 

普通、異質の人は拒みたい、でしょうね。異物に対する拒絶反応、本能です。

いや、だからこそ「意識的に引き入れる」。 そうしなければ出来ませんよ。

 

*   *

 

異質の人は、時にトンデモナイことを言う。それを「君は知らんから、、、

困るね、、」と退けたくなるのは無意識の働きです。が、それではせっかくの

飛躍的なアイデアの芽を摘むことにもなりかねません。俗に岡目八目とか、

(格言ということでご勘弁)めくら蛇に怖じず、と言います。  でしょう?

 

よく知っている、からダメと分かる、それは認めます。けれども、知らない

からこそ平気でチャレンジできる、とも言えるし、そこにブレーク・スルー

の可能性が潜んでいる、、かも知れない。 大切なのは行動のキッカケです。

 

*   *   *

 

あらゆるアイデア、とは言い換えれば One Best Way からの脱却。それだけ

じゃないだろう、やり方は色々あるはずだぜ。ソレッキャナイ?カタイこと

言いなさんな。   コントールという管理はこの正反対だった、でしょう?

 

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●しかも、大変だ!

 

何とかしなくちゃ!という時、判断を下すのに必要な情報が何もかも揃って

いる、なんてことはまずありません。 いくらかはある、だが十分でない。

 

コントロール系マジメ管理者は、こんな場合、まず間違いなく言うでしょう、

「もっと情報が必要です。調査しなくては、、」と。 それが可能なら、ね。

 

 

しかし、たいてい可能ではない。そして手持ちの情報が不十分でも、状況が

判断を迫って来る。  待ったなし、誤りない判断を迅速に、とばかり。

 

よく「拙速の、」と言いますが、そこで強調されているのは「速」であって、

「拙」がおおらかに許されるなんてことはまずあり得ません。  許される?

 

コントロール管理は「データ重視」、でしたね。すると、データ以前、原始

記録すら十分には無い段階では、、、どうします? いつもの方法では戦え

ないでしょう?  だからもう一つの管理、マネジメントの出番なのです。

 

*   *

 

情報の不足は何で補うか? それは頭脳の力、思考力で、ですよ。マネジ

メントは「思考重点」なのです。 これもコントロールとは対照的ですな。

 

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●マネジメントという管理

 

が目指すのは常に「効果」です。コントロール管理が「効率」を目指すのと

は対照的。マネジメントする人の評価が定まるのは、その判断の「効果性」

において、なのです。  ドラッカー教授も繰り返しおっしゃっている。

 

今更ではないだろうけれど、仕事は体裁で論じるべきものではありません。

実質です。成果です。効果の高さです。それをもたらさない論議は空しい。

 

 

いるでしょう、空しい人って? おっしゃることはご立派で、知識は広く、

深い。しかし何故か、効果をもたらしては下さらない、、。どんな教育を

受けて来られたのやら、、。 少なくとも問題解決型ではないようで、、。

 

*   *

 

情報の収集、蓄積、整理、特定業務への適用などはコントロール技法が可能

とするところです。しかし問題を解決するには、役に立つものは何でも組み

合わせて活用し、知恵を絞り出さなくてはなりません。それを可能とするの

はマネジメント技法なのですが、、。  滅多に教えてはもらえない。

 

たいていは「出来る人」の個人的ノウハウ。書生として住み込んだり、側近

となって仕えたりして薫陶を受ける。あるいは父子相伝。とにかく person

to person ベースで、授かるというか、盗むというか。最後には素質の有無

まで言われてしまう。  学んで学べるものではない、とかね。

 

その位、マネジメント技法の教育手段は稀少なのです。理由は簡単、題材で

ある「問題」が非定型だからです。分野、種類、規模など色々あって、その

組み合わせは無慮無数。どれをどう取り上げても、普遍的な内容の教材には

なりにくいわけ。教材なしでは教えようがありません。ケプナーとトレゴー

の業績が賞賛さるべきは、まったくその点においてだと私は思います。

 

*   *   *

 

2種類の「管理」の対照はほかにもあります。即ち、コントロールには機械

化、自動化が可能な部分があると申しましたが、マネジメントの領域では、

それがまず出来ません。企画用とか開発用のロボットなんて、漫画の世界に

も未だ無いのではありませんか?  それをもう一つさかのぼると、

 

HOW と WHAT の対照でもある。コントロールではすることが決まっているの

で、 HOW「どうやって」の工夫が大切です。その中にはロボットという案も

あり得ますね。一方マネジメントは、何をすべきか、 WHAT を求めるところ

から始まります。 することが未だ決まっていない、即ち HOW 以前。

 

何をするか、を決めるとなると、単に理性的判断のみならず、それを決める

人の好みや経験など属人的要素が絡んで来る。  実にpersonal なんですな。

 

*   *   *   *

 

コントロールという管理は主に「もの」を対象とする、と申しました。それ

はそうですよ。「ひと」に対して監視や統制で枠に収める、、などすれば、

たちまち「非人間的!」と言われるでしょうから。従って、対象が「ひと」

である場合には、マネジメントという管理で臨むことになります。

 

そこで生かされるスキルは、ロバート・L・カッツ教授の説に当てはめると、

「コンセプチュアル・スキル」が主体、プラス「ヒューマン・スキル」。

コントロールが「テクニカル」プラス「ヒューマン」だったのとは対照的。

 

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●とりあえずのお奨めは

 

まず、前回と今回を整理して、「コントロール」と「マネジメント」の対比

を一覧表にしてみることです。全く対照的で、同じ「管理」という語を当て

ることに疑問すら感じられるでしょう。  その違いをお忘れなく。

 

どちらが高級、とか言うのではありません。種類や役割が異なる、だけです。

コントロールが確実に行なわれているのでなかったら、つまりデータ皆無で

は、マネジメントも効果的に機能することは出来ないのですから。

 

 

その理解の上で、「マネジメント」思考の力を身に着けたいとなれば、次の

お奨めは、一つの問題を解いてみようと思い立つことです。何でも宜しい、

それをEメールで送ってみて下さい。「やり・取り」をしましょう。すでに

結論が出ているものを、技法で再確認してみるのも結構。自信がつくか、新

発見があるか、、、どちらにしても損はありませんから。 

                            ■竹島元一■

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